なぜ食べ物で遊ぶとアフリカの話が出てくるのか
なぜ「食べ物を無駄にするとアフリカの話」が出てくるのか?
「食べ物を無駄にするとアフリカでは飢えている人がいるんだからダメだ」という言葉は、多くの人が一度は耳にしたことがあるはずです。しかし、冷静に考えてみると、この主張には論理的なつながりがほとんどありません。日本で誰かがご飯を残したからといって、アフリカの飢餓が悪化するわけではないし、逆にすべて食べたからといってアフリカの誰かが救われるわけでもないからです。
それでもこの言葉が繰り返される理由は、相手に罪悪感を与えて行動を変えさせるためです。本当は「食べ物を粗末にするのは見ていて気分が悪い」「もったいないと思う」という個人的な感情が根本にあるのですが、それだけでは子供や他人を納得させにくいため、「アフリカの飢餓」という道徳的に強いイメージを引き合いに出すのです。
これはある種の道徳的プレッシャーや感情的な操作とも言えます。本来、「食べ物を大切にする」という価値観自体は悪いものではありません。しかしそれを伝える際に、現実とは無関係な事例を持ち出し、他人の不幸を使って説得しようとするやり方は、不誠実で思考停止的です。
人間は進化の過程で、食べ物を無駄にすることに本能的な嫌悪感を抱くようになりました。そうした本能や感情に、道徳や社会通念が上乗せされて「食べ物は無駄にしてはいけない」という考えが強化されてきたのです。そして、それを子供にも継承しようとする過程で、「アフリカの飢餓」というインパクトのある例が都合よく使われている、というのが実態ではないでしょうか。
このように書きましたが 私はアフリカを引き合いに出して 食べ物で遊ぶな と注意してもいいと思います。なぜなら 食べ物で遊んで嫌悪感を感じる人がたくさんいるし、それを教えるためにアフリカの話は便利だと思います。